株式会社 フジヤマ
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フジヤマの心、その原点 
 我が社についてお話しする前に、私自身について少しだけお話ししましょう。私が好奇心旺盛だった幼少期はちょうど日本が終戦を迎えた頃でした。そのころから機械に興味を持っていた私は、隣家にあった三輪トラックに夢中でした。この三輪トラックの動く仕組みを知りたくて来る日も来る日も飽きずに眺め、ついにはその構造や操作法を自分で解明することが出来ました。あのときの楽しさと悦びが、私に今の道を選ばせたのだと思っています。

フジヤマ創業の経緯

 「株式会社 藤山メンテナンスセンターとして鹿児島市紫原の自宅にて独立したのは1969年。その頃はメンテナンスを掲げた会社は鹿児島にはまだなく、「メンテナンス」という言葉自体まだ一般的ではなかった時代です。
それまでの10年間は、南日本放送で電気及び機械設備の管理の仕事をしていました。業務内容は設備の運転監視業務でしたが、その当時の設備は良く故障しましたので私は「機械好きの虫」を抑えることが出来ませんでした。メーカーには頼らないで何とか自分たちで修理しているうちに、その改善、改修も行うようになり、南日本放送の設備は故障しないで安定した運転が出来るようになりました。設備が故障しないということは仕事がすごく楽になるということですが、私はその「楽さ」より「苦労してでも技術の仕事に関わりたい」という気持ちの方が勝り、その自らの情熱に従ったのです。これまで培ったメンテナンスの技術で社会に貢献したと考えたのです。


メンテナンスから広がるフィールド
 設立した当初はボイラーや空調設備のメンテナンスを主な業務としていました。当時は鹿児島に多くの工場がどんどん進出してきた時代でしたが、地元の技術がなかなかそれに対応出来ていない状態でした。製造のライフラインであるボイラーが故障してしまうと、中央のメーカーはすぐには対応出来ないので、製造が出来ずに困るという状況でした。そんな時代でしたので即対応出来る当社の技術が大変喜んでいただけたのです。さまざまな業種の工場と関わっていくうちに、ボイラー以外の製造装置や生産設備の故障も頼まれるようになり、自然と専門外の機械の基本を学ぶようになりました。

自動機メーカーへの第一歩
 
1978年に当社が初の自社開発製品として完成したのがモヤシ製造用自動散水装置です。この装置は「盆も正月もない」モヤシ屋さんに大変喜んでもらえました。これをきっかけとして、これからは設備の自動化が要求される時代が来ると感じ、本格的に自動機・省力化機器製造乗り出しました。鹿児島市七ツ島の工業団地に本社を移転し、1981年には社名も「株式会社フジヤマ」に変更し、名実共にメンテナンス会社からの脱皮をしました。
株式会社フジヤマ
取締役会長

藤山 敏己
ふじやまとしみ

○創業者プロフィール
1937418日、鹿児島県姶良郡姶良町に生まれる。
(奇しくも発明の日に生まれる)
1955年、鹿児島工業高等学校卒業自動車整備士、総合病院設備担当、南日本放送の電気機械設備管理者を経て32才で独立する。根っからの機械好きで、「ものづくり」に情熱を燃やす。現在は「究極のものづくり」である「野菜づくり」に夢中。
システム企業そして総合エンジニアリング企業へ・・・
 当社がシステムエンジニアリング開発部門を始めたのは1994年の事です。これもお客様からの強い希望による物です。それまではコンピューターは「特別の人」が使う「特別な物」という感覚でしたが、この頃から「パソコン」が文字通り一般の人に使われるようになっていました。当社のシステム開発への考えは、お客様が直接使う機械を作っている当社がその機械を管理、監視するシステムを開発することにより、本当の意味での「お客様の立場に立った」システムを開発することです。この考えに共感していただいたお客様からの熱い支持のもと、システムエンジニアリング部門は大きく成長しています。
フジヤマは創業してから現在までの間に「設備」「機械」「電気」「コンピュータ」とあらゆる「技術の仕事」をしてきました。それぞれの分野においては日本全国各地にスペシャリストはいるものですが、エンジニアリング全般にわたってこれだけ技術的にカバーしている企業はそうそうないと自負しております。これは「お客様に喜んでもらえる仕事をしたい」「自分自身の納得できる面白い仕事をしたい」とただひたすらに思ってきた結果だと考えています。この思いはフジヤマの原点であり、実績であり、将来でもあります。

これまでもこれからも、総合エンジニアリング企業として技術で社会に奉仕し貢献していきます。

子供の頃からの夢
 創業者である父藤山敏己から事業を継承し、社長になったのは2006年6月の事です。年齢的にも40になるかならないかの若造でしたが、お取引先、協力業者からの厚い信頼と信用のお陰で経営者の苦労という物を実感しないまま年月が過ぎています。
 思い起こせば、私が社会に出た時は平成元年のいわゆる「バブル絶頂期」でした。
世の中は実態のない物にお金が動き、お金がお金を生むような時代でしたが、私はエンジニアになる道を選びました。なぜエンジニアになったか?と質問される事がありますが、大げさに言えば私にとってはなぜそう言う質問をするのかが分からないぐらいエンジニアになるのが「当たり前」の事でした。私の中ではエンジニアになる以外の選択肢がなかったのです。これは決してエンジニアリング会社の社長の息子だからという義務感から来ている物ではありません。物心ついた時から、技術に対してひたむきに取り組んでいる父親の姿を見て育ち、大きくなったら「あんな人になりたい」と思い続けていました。だからまだ幼いとき「大きくなったら何になりたい?」と聞かれた時も「フジヤマの社長になる!」といつも答えていたようです。幼い頃の私にとって、「フジヤマの社長になる」という事は「立派な技術者になる」事であり、「立派な人」になるという意味に感じていたのだろうと思います。 まだまだ「立派な人」にはほど遠いですが、「立派な技術者」になる事を通じて「立派な人」になれるように努力して行きたいと考えています。そうすることにより、多くのお客様のお役に立てる技術を磨くことができ、お客様のお役に立てる技術者をたくさん育てる事が社会のお役に立つことだと信じています。それがフジヤマにとっての「立派な経営者」だと信じています。これからも「技術が好きな社員たち」と共に「技術で社会に貢献する」会社で有り続けるよう努力し続けます。

「一流の心」の人になろう
 
当社の社章は「心」の文字を象ったもの。それは「心」のこもった仕事をお客様の身になってする事であり、人の心を大切に、常に感謝の気持ちを持ち続けることです。技術の仕事をするよろこびと満足を求めて創業した当初から多くの方々に様々なご支援を頂いた事への感謝の気持ちを、心のマークにあらわし、またこのマークに恥じない態度で仕事をしよう、生活をしようということをポリシーとしています。また、自分だけよければよいという行動、言動に走りがちな現代において、「公共心」を常に大事にする社員を育てていくことも私の役割だと考え、実際にそんな社員ばかりである事が当社の誇りでもあるのです。技術を追究していくと結局「人」に戻るのです。 そして大切なのは人として「一流」である事。技術や会社としての評価はそんな一流人の集団に自然とついてくるものです。一流の技術だけではなく心の一流を目指そう。そんな気持ちを込めた「Engineer Minds」をテーマに皆様のお役に立てる総合エンジニアリングの創造を図ってまいります。 

株式会社フジヤマ
代表取締役社長

藤山 和久
ふじやま かずひさ 

○代表者プロフィール
196725日、鹿児島県鹿児島市に生まれる。
1989年、福岡工業大学卒業
山武ハネウエル株式会社(現
アズビル株式会社)の、システムエンジニアを経て、1994年に家業である株式会社フジヤマを継承するために鹿児島へ帰郷。
2006年に代表取締役社長に就任。
専門はシステム、制御関係全般であるが、父親ゆずりの機械好きであるため、暇があると常に「ものづくり」をしている。
これからのフジヤマ・・・総合エンジニアリング企業へ
 フジヤマの歴史を振り返ると常に新しい技術への挑戦の繰り返しだったと改めて気付かされます。その結果、メンテナンスに始まり、設備工事、プラント工事、計装制御、自動機、コンピューターまでお客様のあらゆる分野をフィールドとして活動する事が出来ます。一番新しい分野はシステムエンジニアリング部門(SE事業部)ですが、これは単なるコンピューターを利用したシステムではなく、「何でもやる」フジヤマの良さを生かした総合エンジニアリングの足がかりと考え、機械、電気、コンピューターの各分野の人間がそれぞれの分野を中心にしながらも全体の組み合わせを考え、最適なエンジニアリングとソリューションの提供を行っていきます。

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